あの人は町田のグループホームでお世話になってます。

ひまわり治療院

0120-630-680

〒187-0044 東京都小平市喜平町3-3-8-114

[ 診療時間 ] 月~土曜 9:00〜18:00 ※時間外応相談 / [ 休診日 ] 日曜

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あの人は町田のグループホームでお世話になってます。

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2021/11/28 あの人は町田のグループホームでお世話になってます。

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今年の28日は日曜日なんですね。あの人は昭和15年満州国に生まれました。父は一旗揚げようと新天地である満州(現在の中国東北部)に移り住むことを決断した。

しかし、戦況は日々悪化して、家族の安全の為日本に帰ることにした。

 

鹿児島県川内(せんだい)にて農業に従事、4女をもうけ育てることになる。牛を飼い、鶏を飼い、野菜・米を育てるが生活は楽ではない。長女であるあの人が大阪の紡績工場に中学卒業と同時に働き始める。

 

家に妹が3人、両親の為に毎月生活を切り詰めて仕送りをして実家の家計を支えていた。そのため妹は高校に通うことが出来ていた。その後、大阪在住の親戚の助けを借りてマッサージの専門学校に通いながら、マッサージの仕事に従事することになる。

 

やがて、知人の紹介で絵やイラストの広告デザインの仕事をする彼と知り合いほどなく結婚し男児をもうけることになる。子供の世話は実家時代に妹のめんどうをみさせられていたことにより飽きていて、子供の世話はあまり好きではなかったようである。

 

彼の仕事は自宅でフリーランスによりイラストの仕事などを請け負っていたので、東京に移り住むことになる。新宿百人町、幡ヶ谷、など仕事場から近い場所に居を構えていた。一時期男児の創育の為?足利に一軒家を借りて次女を乳母として住んで頂き生活していた時期もあった。

 

彼はデザインの仕事のサポートをして欲しいと希望していたが、長女であり実家を経済的に支える使命感に燃えていたので自分の自由になるお金を稼ぐ必要があった。実家の両親は髪が肩まである長髪ロン毛の彼のことは毛嫌いしていたので、彼からの実家を支える資金援助は望むべくもなかったという事情もあるようだ。

 

次女、三女、四女と次々と東京に上京し、次女三女はマッサージの専門学校に通いながら銀座界隈のホテルや治療院内でのマッサージ施術の仕事に従事することになった。

四女は一般企業での事務員として勤務。

 

長女は彼のデザインの仕事が徐々に減っていき、収入も少なくなっていく中、実家を支え家庭を支える為仕事に没頭し、夜勤もこなす。ホテル勤務でのマッサージ施術のこともあったが、主にサウナなどの女性客がお客様である。高度経済成長期は仕事が絶えることはなかったようだ。自宅に帰るのは3日に一回ぐらい翌日の昼には出勤である。息子と顔を合わせるのは3日に一回19時~22時ぐらいまでだが、直接的会話はほとんどなく、晩御飯を作って下さったことは覚えている。

 

彼女は彼と一人息子の教育方針のことで対立しており彼が異常なくらい厳しい教育を息子に行っていることに反対していた。その為に言い争いになることも多くその結果

家に帰ってくる回数や時間が減っていったということもあったようだ。彼の説教や説得はくどくて粘着質な内容で長くてほんとに疲れるのでやむを得ない。

 

彼は一人息子を立派な人間となるように厳しく育てることが善であると信じ譲ることはなかった。仕事は深夜息子が寝ている時間に集中して行う。息子が家にいる時間はほとんど家にいて息子が勉強をしているか常に神経を尖らせ監視体制を敷いている。寝ていても息子が起床時間に起きなければ飛び起きて息子の顔にやかんの水をかけるなどして起こす。「こらー!!なに目覚ましを止めて寝とるんじゃー」と怒髪天をつく勢いで怒鳴られます。

 

残念なことに彼の優秀な頭脳(東京教育大をたぶん中退)や芸術センスは息子に引き継がれることはなく運動能力はまあまあぐらい、健康が取り柄の平凡な人間として成長していく。幸いにも向いている仕事に出会い社会の一員として参画することができている。これにはさまざまな方々の助けがあり、本人の努力も少しありまた厳しい教育も良い影響となったものと思われる。

 

彼女は78歳までほぼ休みなく働き最後は品川プリンスホテル、帝国ホテル等の夜のマッサージ師として従事していたが、コロナ渦により外国人が入国できず、その為かホテルでの仕事はほぼなくなり、仕事の継続は困難となり引退を余儀なくされた。息子には死ぬまで働きたいと常々言っていたが難しかったようだ。

 

町田市に彼とともに暮らしていたが、4年ほど前、ガンを患っていた彼を見送った後、認知症を患い町田市のグループホームに入居して職員の方々にお世話になり見守られながら平穏な日々を送っている。対面のコミュニケーションに問題はないが、一週間前の面会者のことは覚えていないようである。短期記憶、中期記憶は徐々に失われているようである。やがて息子の面会にも、あんた誰?ということになる日も来るかもしれない。施設職員の皆様には心より感謝申し上げます。今後とも母をよろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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