あの人はスパイ候補生だった?

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あの人はスパイ候補生だった?

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2022/02/23 あの人はスパイ候補生だった?

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あの人は昭和11年東京の下町、上野付近にて生まれる。父はライオン歯磨きのサラリーマンをしながら、時間外には活弁士(映画の音がない時代、人がしゃべくりで入場者を楽しませていた。)をしていた。当時活弁士はいけてる仕事のひとつであったようで、女性にもてたらしいです。そのことが関係あるかないか、やがて離婚となり新しいお母さんを迎えることになったようです。当時は戦時中で食べ物が不足していて、新しいお母さんは自分の連れ子には食べ物を与えてもあの人とは血のつながりがないからか食べ物が与えられなかったようです。その為近くの市場をうろうろして落ちている食べ物を探して歩き、なんとか飢えをしのいでいたそうです。何年か後のある日決心をして、今日から拾い食いをやめようと決めたことがあるという話を聞いたことがあります。やがて祖母の家に引き取られ食べる物には困まらなくなったそうです。というか逆に祖母には甘やかされて育ったようです。

 

その後親戚の印刷工場を経営している叔父さんに引き取られ、学校に行かせてもらいながら印刷工場の仕事のお手伝いを行っていたそうです。一個々活字が金属製の鋳型となって、それを組み合わせて印刷文字を作っていた時代です。学業が優秀だったようで、家で勉強しなくても学校の授業を聴いているだけで勉強ができたようで、東京教育大学の付属高校に進学したようです。その後東京教育大学(現在の筑波大学)に進学して器械体操をしていたそうです。

 

その頃にロシア人女性に恋をしたのか、ハニートラップにかかったのか共産主義にかぶれてしまい、当時のロシアに貨物船に乗り込んで密入国していたようです。現地で格闘訓練やスパイ教育を受けて日本に帰って来たようで、たぶんですが帰りには日本の警察にみつかり逮捕されたんではないかと思います。(本人は子供の私にははっきりいわなかったが)ロシア人女性とも別れ自分の両親も東京大空襲で亡くしていて天涯孤独な状態で人生に行き詰まりを感じたのか、某禅宗のお寺にて修行僧となり2年余りを過ごしたようです。ある日住職より呼ばれて「きみはお寺の生まれではないので出世も望めない外の世界で生きていくことを考えよ」と諭され寺を後にしたようです。

 

その後、デザイン事務所に入り広告デザインの仕事を始めます。(印刷技術の関係で今ほどは写真が広告に使われなかった時代)もともと絵の才能があり、印刷文字をフリーハンドでかけるという特技も持ち合わせていたので、たちまち売れっ子デザイナーとしてキャリアを重ね独立。昭和30年代前半で車を所有して乗り回していたので、そこそこの成功をおさめたといっていいのではないでしょうか。しかし時代は移り変わり広告は写真材料が中心となり、ワープロが普及し始めだんだんと仕事が減っていったように子供の目にも映っていました。人に頭を下げる営業はプライドが高いので出来なかったというのもありジリ貧状態でした。

 

一家の家計は妻がマッサージ師の仕事で賄っているように子供の目には映りました。本人は冬はスキー、スケート、一年中パチンコ、と趣味に生きているように見えました。あまり一生懸命にお金を稼いでこようという感じにはみえませんでした。PTAの会長を引き受けたりして自分の教育学を学んだ経験をひけらかして満足しているようにみえました。子供は出来がよくないのに恥ずかしくないのか?と子供側から逆に目立ち過ぎる父が恥ずかしかったです。見た目が肩までのロン毛、もしくは髪をまとめての赤いベレー帽、身長175ぐらいでまあまあの長身&筋肉質。町を歩けば声がでかいのと見た目が変わっているで、ジロジロみられるが本人は平気、てな感じ。

続く

 

 

 

 

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