60歳の誕生日を迎えて

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60歳の誕生日を迎えて

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2026/01/24 60歳の誕生日を迎えて

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還暦を迎えてのお気持ち表明です。私は7月生まれなので、誕生は私が数か月早くこの世に出てきましたが、秋篠宮殿下も同じ年にお生まれになった同級生です。

あちらの方とは違い、私は平民でありなおかつ貧乏人の家に生まれて、世間では底辺職との低評価を受けている職業の身分の低い者でありますが、3回目の成人式ということで、お気持ち表明をしてみたいと思いました。

 

60歳を迎えて思うことは、よくここまで生きてくることができたな。大病もせず、大事故にもあわず、これから先、何歳まで生きることができるのだろうか?

明日死んでしまうのかもしれないし、80歳や90歳、はたまた100歳まで生きるのか?自分にはわからない。

 

高校卒業前、専門学校2年時、と2回この世を動かしているのは目にみえない「何か」であることを感じ、あれかな、これかな、2~3週間で終わってしまうお祭り?みたいなものだったので、そのうちに日常生活にまぎれて忘れてしまい「何か」について特定や断定することができませんでした。あれかな、これかな、と考えても、そのうちに「何か」は消えてしまい、自分の中で確信が持てずにいましたが、しかし今は違います。ああやっぱりそうだったのか!今まで私は自分の力でこの厳しい世の中を歩んで来たように思っていたが、目に見えないものに守られて生かされていたと理解できました。そう考えるとありがたくて、感謝の気持ちが湧いてきて自然と涙があふれてきます。

 

自分に与えられた役割を誠実に努めていけば安心して死んでいける。何も心配しなくてもいいのだ。とは思うものの、私は平凡な人間である為、ああなったらどうしよう、こうなったらどうしようと、この先のことなど余計な心配事から逃れられることはできないでいる。しかし、それも自分であり自分ではない。自分の意思さえ自分のものではないかもしれない。

 

これを読んでくださっている方へ、一応申し上げておきますが、これはポエム(詩)ですから、私のことを心配しないでください。あまり真剣に読まないで下さい。もう一度言いますがポエムです。

 

人生において出会う人は初めから決められていて、また「誰か」が決めていて、必要があって出会う。最近ではSNSを見ていると、そんなことを言っている人はたくさんいる。私もそれは否定することができない派の人です。親であっても例外ではないそうだ。

 

雅子様のお嬢さまの愛子さまは幼少の頃「私はママとパパがやさしそうだったので、あそこへ行きたいなと思って雲の上からみていたんだよ、でも忘れ物をして、一回帰ったんだけれど、もう一回来ることができたんだ。」と話し、周囲の女官の方々は思わず涙してしまったとの事。なぜなら、雅子様は一回流産してしまったことがあり、周囲の方々はもちろんそれを知っていたから。

 

この話は良く出来た作り話と思う方もいるかもしれませんが、まれに子供は両親を選んで降りて来ることがあるそうです。決して全部ではないようで、私のように厳しい父の下に生まれて来るということは、それなりの理由があり、恐らくは泣き虫の弱い魂なので、鍛えてもらう必要があったのでしょう。そのように現在では解釈しております。

おかげさまで、社会に出てから父から受けた以上に厳しく詰められる経験はなく、困難にぶち当たっても、心の中は平静を保つことができています。ありがたいことで、父には感謝の気持ちしかありません。悔やまれるは父が生きている間には感謝の気持ちを持つということ、感謝を伝えることはできませんでした。

 

高校卒業する18歳の時、父の命令で自衛隊に入るか禅寺の坊主になるか、20歳までは俺の責任範囲であり、おまえの自由にはさせない。その一言で陸上自衛隊へ入隊して北海道滝川駐屯地に赴任、1任期を終え20歳で除隊、さあ親父はどう変わっているか、と楽しみにしていたが、あいかわらずの話の通じない人間だと思いながら、しかし今後の行動は自分の意思で自由にやってよろしいようなので、まあ鎖を解かれた奴隷のような開放的な気持ちとなったことは、はっきりと覚えている。しかし、今後の人生は自分で切り開いていかなくてはならない、支援は望むべくもなく、自分でチャンスを掴み取り生きていかねばならない。そんなあの時から40年も経過しているのかと思うと感慨深いものがある。

 

たくさんの人と出会い、別れ、そして今ここに生きているのは、たくさんの方々のお力を頂き、助けて頂き、生きてくることができた。受けた恩を返すことが出来ていない人もいるし、感謝の気持ちを伝えることができなかった人もいる。悪い行い、まずい行動、人を傷つける言葉はあとで後悔となって自分を責めたてる。何であんなことをしてしまったのか、何であんなことを言ってしまったのか。普段は忘れているがふとした瞬間に思いだす。

 

この世に生まれて生きているということは毎日が修行なのだと思う。様々な課題を与えられ、それをどのように解決、または対処していくのか。親父は若い頃に禅寺で2年間修業したらしいが、特別にえらいとは私は思っていない。現実社会から避難していただけのことで、確かになかなか得られぬ良い経験だとは思うが、特別に人格が向上したとか、品格が向上したとか、は疑問に思っている。男の子は親父を否定して乗り越えるのが男としての成長につながるという説を唱える専門家もいるということで、お許しをいただけますでしょうか。

 

誰かの役に立つことで生きているということに価値を置くとするならば、私は父を超えていると思っている。決して父に負けているとは考えていない。確かに学校の勉強は比べようもないぐらい私の成績はひどいものかもしれない、しかし社会での役割を得て懸命に務めを果たしているという点において父を完全に超えたと思っている。唯一、負けているのは子供を育てる、子供を愛する。という課題では私は0点であり、名前を書いて白紙で提出したようなものである。父が何点であったのかは置いておくとして、今後も新しく子供をもうける予定もない。

 

なぜなら、自分も自分の子供には厳しいしつけが必要だと思っているからであり、しかし子供はしつけを虐待と思ってしまうと思うからである。自分が受けた苦しみを子供に味わせる訳にはいかない、という気持ちと社会に出す以上は厳しくしつけるべきという気持ちが自分の中で戦い、結果的に子供を追い詰めることになる可能性がある。虐待は連鎖するのである。親父は育ての叔父から苛烈なしつけという名の虐待を受けていたらしい、私もまた書くのもおぞましい、人間扱いをされない数々のしつけという名の奴隷扱いを受けて来た。この連鎖はどこかで断ち切らなくてはいけない、と子供の頃より決意していた。人間は弱い生き物である。自分の行いを正当化して自分こそが正義であると思って日々生きているのが人間である。実際は一人の人間の中に天使と悪魔が共存しているのだが、それを自覚できている人間がどれほどいるだろうか。

 

今までの人生でのどん底は小学校3年生、8歳の頃だと思う。家では毎日のように家にいて仕事をしている親父(フリーの広告イラストレーター)に毎日のように詰められていた。何時間も続く長いお説教(昔エンドレステープというのがあったがまさにそれ)、一日中続く正座地獄、母は仕事で家にいない(3日に一回夕方に帰ってくる)一人っ子、学校では孤立していて私の味方はだれもいない。そんな毎日を送っていた時のこと。

 

家は甲州街道からすこし入った処にあったのだが、甲州街道をはさんだ向かいに13階建てのマンションが建っていた。夕方屋上まで上がり、緑の網柵をよじ登り、下へ飛び降りようとコンクリートの地面を覗き込んだ。しかし、怖くて出来なかった。つらくても生きていこうと決めたのは微かに記憶にある。その時もきっと目にみえない「何か」の助けがあったのだとは今では思える。

 

苦が与えられるのは人間として成長する為のものであり、順風満帆、なんでも上手くいく人生は思い上がった傲慢な人間を作り出してしまう。そして苦は人生の早い時期に味わうのが良いと思う。若い柔軟な感性を持っている時に乗り越えることができれば、その後の人生の財産となるように思う。

 

自分は凄い人間だ、優れた人間だ、なんて勘違いしたまま年を重ねて、ある時にどん底が来たら、ぽっきりと心が折れてしまうと思う。人生の早い時期の苦は目に見えない「何か」からの贈り物であると、今は思う。

 

4回目の成人式があるかどうかはわからないが、というかわからないほうがいいが、なぜなら自分がいつ死ぬかなどわかったら正気ではいられないと思うからである。だからこれも目に見えない「何か」からの贈り物であると思っている。以上で3回目の成人式、お気持ち表明を終わります。

 

 

 

 

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